映画「私は最悪」を観た感想 ※ネタバレ注意
主人公ユリアと私の共通点が多すぎて死にたくなった。
新奇性が高い、視覚優位、固定観念や常識に縛られたくないがゆえに一般常識を知らない、刺激を求めて生きているところ、成人後の人生に家族の登場が極端に少ないところ、回避性の気質を持つ父親を持つところ、所有を嫌い変化を求めるところ、行き詰まると環境を変えるところ
ユリアが子供を産み育てることに恐怖心を持つ気持ちがとてもわかる。環境を変えたくなった時に動きにくくなるからだ、そして「子供がいる」ことでは己の性格が落ち着くことはないとわかっているのだ。
堕胎後のユリアのほっとした笑顔が印象的だ、解放されてまた新しい自分の人生を歩めることへの安堵だ。切り替えが早く執着をしないところも私と似ている。
ユリアのように美しくて要領良くて母親からの呪いがなければ、私も男を転々としていたのだろうなと思った。私とユリアの大きな違いは彼氏に父性を求めるか否かだ。
結局新奇性が高く、刺激を求める気質を持つ人は好奇心の赴くままに動き続けることでしか生きていけないんだなと思ったので、生活に困らないよう貯金だけはしとこうと思いましたまる
サウナに行ったらスパバッグの盗難にあったのでなぐさめて欲しい
さっきサウナに行ってたんですけど、浴室内でスパバッグの盗難に会いました。
スパバッグの中に洗面用具を全て入れていたので、シャンプー出来ずに帰ってきた。。。
確かに私のスパバッグ可愛いから欲しくなる気持ちもわかるけど、お願いだからシャンプーさせて・・・スパバッグはあげるからせめてシャンプーは残して行って・・・。
フロントの人に一応被害届けを出したら帰り際にタオルくれた。悪いのは盗難をした人であって、フロントの人には罪がないのに気を遣ってくれてありがとう。
昔バイト先の傘立てに日傘を置いてたら盗まれたことがあって、まあ確かに私の日傘可愛いかったから欲しくなっちゃうんだろうとは思った。
傘とか日用品を盗む人って一定数いると思うんだけど、コンビニで名前が書かれていないビニール傘を盗むならともかく、盗んでも次回以降その場所で使えないものを盗む人ってどのような心境なんだろうか。
自転車を盗んでも警察に捕まって防犯登録確認されたら一発だし、スパバックなんて盗んでも絶対に同じサウナには持っていけないし、可愛い傘を盗んでも行動の範囲内でさせないし、窃盗品の傘が家に溜まっていくだけなんじゃないだろうか。それに窃盗品の傘を差して果たしてテンション上がるんだろうか、この傘はどこそこのコンビニで盗んだピンクのふりふり付きの傘で可愛いんだよな〜お気に入り〜💖とか絶対思えないでしょ。
人間がつらいと感じる時は、「次がない」と思うからかもしれない
私、未婚子なし、出世コースから外れたしがない会社員30歳。
最近自分の人生に閉塞感を感じて漠然とつらい。
30歳平社員というと仕事も覚えてルーティーンで発生するものはほぼ自動化かつ省エネをしているし、トラブルが発生してもこれまでの経験からまあ予測が出来るので対処は過去の自分の経験から最適な組み合わせてをアウトプットしてのらりくらりと対応ができる。仕事からは新しい刺激を感じなくなってきている頃だろう。
仮に60歳で退職するとして、あと30年同じ仕事を続けるのか、と思うとつらく感じるものがある。人間というものは何やかんやで変化や刺激がないと生きていけないものだと思う。
賛否両論あるけど公務員のシステムはよくできていると思う。2〜3年で部署移動と業務の変更がなければとてもじゃないが毎日の労働に飽きて定年まで勤め上げられないと思う。
日本人は島国に住んでいるゆえに安定志向で新奇性が低く変化を好まない傾向にあるなんて言われているが、安定志向が強い人たちが2〜3年毎にジョブローテーション制度があるJTCに勤めて、比較的チャレンジングな志向性を持つ人たちがジョブディスクリプション制度を採用している企業に勤めがちなのは何ともおかしいことになっていると感じる。ジョブディスクリブション制度の元働いているとスペシャリストにはなれる一方で職種変えるのが難しく、自分が行動を起こさないと一つの仕事をやり続けることになる。私もジョブディスクリプション制度の元同じ仕事を6年程続けているが、まあ、最近閉塞感を感じるし、飽きてきている。
閉塞した空間にいる暇な人たちが暇な人たち同士で集まってしょうもない悪口とゴシップで盛り上がっているのは、能動的に環境を変えられないし新しい刺激を受けに行くこともできないからだ。でもアドレナリンを分泌させないと毎日生きていることに退屈すぎて死んでしまう。
仕事や環境を変えるなどは自分の力だけではどうしようもないことは諦めるとして、じゃあどうするべきかと考えるとプライベートから刺激を感じるしかない。そう思い「何に対して楽しいと感じるか」、「何に興味を持てるか」、「何に熱中できるか」を模索するため、沢山本を読んで色んなところに行ってみて、気になることは時間の制限がないもの以外はほぼ全部やってみた。が、何をしてもどこかで飽きが来てしまう。いっときでも楽しいと感じることを往年探し続けるしかないのだろう。
現代の日本で最低限の生活が保障されている中、自分を満たし続けるにはライフステージを能動的に変化させるしかないと思う。これが一番難しいよね。
最近の激務な状況に思うこと
おひさしぶりです、最近は激務限界OLをしています。
弊社は給料は低いが比較的業務量は少ないと有名な会社だったのですが、コロナの影響で売り上げがガクッと落ちて人員削減が入りまして、パフォーマンスの低い人とアドミ業務(会社に売り上げを持たらさないバックオフィスの人たちのこと)をされている方達が肩叩きとされました。
そうなるとこの会社やべえええって思ったベテランとどの会社でもやっていける能力の高い人達が転職していき、私のようなペーペーに仕事が詰め込まれ毎日22時まで働いております。
業務量が増えてもう無理・・・と最初は泣いていたのですが、最近は比較的業務量をコントロールできるようになり他人の助けを借りつつ頑張っております。人生100年時代、これからも働き続けるだろうけど、働く上で「経験」はとても大事なので、今の状況は仕事量は多いものの高密度で経験を積めているのではないかと思ってます。
衰退産業で衰退職種をしているのでどこかでキャリアのシフトチェンジをしないといけないのだけど、今は仕事が楽しいのでとりあえず心身の健康に気をつけながら働こうと思っております。
激務生活の悩みがあって、趣味の時間が取れないことが最近の悩みの種です。
定時上がりで高収入で家賃補助が出るホワイト企業に勤めている人はいいなあと毎日思っています。
自分の性格上、どうしても激務な職種に惹かれてしまうし、やりがいとか働きがいなんて脳内物質による幻覚を重視してしまうからブラックな職場を選びがちなんですよね・・・・。
次はホワイト企業で働きたいと願いつつ、月曜日からもがんばりましょうね〜〜〜。
私が考える再現性の高い人生の最適解
アパート経営を行い、一階を店舗に改造してカルチャースクール(芸術系)を運営すること。
芸術系の趣味はお金が掛かる上に、収入になりづらい。継続するには先生になることが最適解だと私は思っている。
教室の先生になることで自分のペースで働けて社会貢献ができる、また地域のコミュニティーを築くことが出来る。
また、芸術系の事項に日々取り組むので感性と頭を使い続けるため、ボケづらい。
例え生徒がつかなくても自分が所有している不動産なのでマイナスにはならない。
不動産投資いいなあ、始めるまでが大変だろうけど始めてノウハウを掴んだら自由への大きな一歩になるんだろうな。
他人からの評価、と会社員の自分
限界労働会社員のみなさま、日々の労働お疲れ様です。
先日評価面談があって、上司からの評価と自分に関して考えたので自分が思ったことをこの記事に書こうと思う。
私は現在勤務している米系の会社で働いてX年目となる、もうそろそろ昇格してもいいのではないか、という年次だ。だがしかし前年度に昇格を逃した。日々の業務は頑張って取り組んでいるし、他の人達より貢献して成果を出しているつもりでいたので昇格出来なかったことが悔しかった。
昇格してもらえなかった理由はコロナ禍の会社の業績やプロジェクトの進捗状況など複合的な背景はあると思うが、まあ理由はシンプルに上司が期待する基準に満たなかったということなのだろう。
とても悔しいし、惨めだ。同期入社の人達が昇格しているのを下から見ていて、「なぜあの人が」とか「私のほうが〇〇は得意なのに」とか永遠と堂々巡りで考えてしまって苦しかった。
この休みで悩んで悩んで死にたくなるぐらいに落ち込んで休みの最終日にふと思った。
あくまで仕事の評価というのは勤務している会社の上司が上司各々のフィルターを通して私をみて付けた評価でしかない。それ以上でもそれ以下でもない。
人間は社会性を持つ生き物なので、もちろん仕事で評価されたら嬉しい、評価が付かなかったら悔しいと思ってしまうだろう。
他人から能力を評価されたり褒められたら自己肯定感も上がって、その分野でもっと頑張ろうと思うかもしれない。
でも仕事や他人からの評価は、本来自分が持っている魅力や能力に影響を与えるものなのだろうか。
上司から良い評価を付けられなくても他人から褒められなくても、自分は自分であり続けるのだ。他人からの評価は自分を構成する全てに何一つ影響を及ぼさない。
会社員は雇われている立場上、会社や上司からの評価は気にしないといけない。
ただ自分自身の幸福を感じる時に、相対的な評価や他人から与えられるエネルギーに依存してはいけないのだと思う。
人生で考え続ける必要のあるテーマは「自分はどんな時に何をしている時が幸せなのか」、ただこれ一点なのだと思った。
人生最悪な期間こそ勉強をするのが良い
楽しいこともあるけど、生きていると辛いこともありますよね。
四苦八苦なんて言葉がありますが、仏教で定義されている四苦は「生老病死」です。
漢字のままですが、
生:生まれること、生きる苦しみ
老:歳を取り、老いる苦しみ
病:病気になり、痛みや悩みを持つ苦しみ
死:いつか来る死への苦しみ
以上と定義されています。(無学者が数冊入門書を読んだだけなので、解釈や解説が間違っていたらすいません。)
世界三大宗教の一つである仏教で、「生きることは苦しいこと」と教えられていることを知った後に非常に気持ちが楽になったことを覚えています。
あ、なんだ、仏教でも生きることはつらいと言ってるし、私だけが人生辛いんじゃなかった〜!昔の人も今を生きている人もみんな辛いんだ〜!みんな一緒だね!やっぴー!なんて思いました。
私の人生で1番辛かった期間は大学卒業後の数年間です。
学歴もなく面接も下手だけどどうしてもやりたい仕事があったので、転職前提で小さい会社に入りました。
小さい会社ゆえに入社後すぐに出向になり希望していた職種に付けないし、出向先の仕事が職歴になりづらいものだったので転職も容易に出来ず、八方塞がってしまい。(今考えると職歴はなくても若かったので転職は出来たと思うが、社会を知らず出来ないものと思っていた。)
鬼のように奨学金返済をしてた期間なのでお金もないし、恋愛もうまくいかないし大学卒業後の数年は辛かったな・・・と思う。
毎日こんなはずじゃなかったと感じていて、辛いことばかりで毎日楽しそうにしている友達のことが羨ましくてまあ不貞腐れておりました。
ある時不貞腐れていてもどうにも何にもならないことに気が付き、とりあえずその当時自分が置かれている環境で出来ることを出来る限り行って、後から振り返った時に意味があったと思える過去にしないといけないと思い、毎日必死に何かをしてました。
その時に何をしていたかというとひたすら資格を取ってました。
公、民間問わず誰でも受験資格があり、興味を持った分野で3ヶ月〜程度勉強すれば取れるものを選んでました。
ご存知の通り、ほとんどの民間の資格は履歴書に書いてもまあ意味はないです。
それでも資格の勉強は良いです。数千円でテキストが買えて、その一冊があれば数ヶ月勉強が出来るので非常にコスパの良い暇つぶしです。
人生最悪な時ほど考えてもしょうがないことを悩んで不安になってしまいますが、勉強でもして悩む暇を作らないことが良いです。
また、テキストは体系的にまとまっているのでその分野で得たい知識を短時間で効率よくエッセンスを学ぶことができます。
そして、合格した時は合格書を貰えるので自分の努力と行いに対して自信が付いて、自己肯定感が爆上がりします。
受験した全ての資格に合格したわけではなく、私は簿記3級に2回落ちたというIQ3なエピソードを持っていますが、
賃借対照表とか損益計算表とか言葉と概念は朧げに覚えているので、証券口座で銘柄を選んでいる時や新聞を読んでるときに「これ、簿記のテキストに出てきた言葉だ!(進研ゼミに出てきた問題だ!のテンションで)」となって結構人生のどこかで役に立ってます。